私が一五一会レプリカ製作に至った背景をちょっと。 最初に申しますと、私はK.ヤイリを心底尊敬していますし、国内はおろか世界でも屈指の職人集団と思っております。私が一生掛かってもここの従業員になるだけの技量は無いでしょう。 ・・と前置きした上で結論からいいますと、私は一五一会はK.ヤイリが作るべき楽器ではないと思います。むしろ石垣島に近い台湾あたりが妥当でしょう。そうすれば3万円代で市販可能だと思います。 一五一会は、「誰でもカンタンに弾け、これによって世界中に音楽が溢れ、世界中の家族や友達が唄い踊ることで暮らしが明るくなる」という使命を背負った楽器であります。誰でもカンタンに弾ける楽器は、コスト的にもお手軽でなければなりません。しかしケース込み11万円という値段はいかがなものでしょう。楽器にこれだけの投資をできるのは世界はおろか日本でもごく限られた人になります。ギターは弾けない(弾く努力をしない?)けど金は沢山ある人が購買対象だなんて「これを買うお前はアンポンタンだ!」と言っているようなものです。 沖縄にはカンカラ三線というものがあります。戦中戦後の物資の乏しい中、空き缶や廃材で作った楽器です。沖縄の人達どんなに苦しくても音楽と踊りを忘れなかったのです。その精神をどうして大事にしないのかと思います。 一五一会を買ってニヤニヤしている方々は皆、これを日本の職人文化の結晶だとか、ヤイリにしかできない技術と思っているでしょうが、中身の構造は(アメリカ文化の結晶である)Martinのギターのブレース構造から枝を取っただけであり、独特の形状もヤイリではなくBEGINのデザイン(短冊)が基本であります。ヤイリの技術から見ればおもちゃのようなものであり、開発にあたり(マスコミが取り上げるような)苦労などさほどしていないはずです。 私がもう一つ残念に思ったのは、音来(ニライ)の登場です。ヤイリの手工業制では安価で製作することは不可能であり、「日本製を維持しつつもお手頃価格で」ということなのでしょうが、あのチープな造りで4万5千円とはいかがなものでしょう。数億円のストラディバリと十数万円のバイオリンの外観上の違いは素人には判らないと思いますが、一五一会と音来の違いはどんな素人でも判ります。もし音来が素人目には一五一会と区別付かなければ”一五一会は外見では判らないような特殊な仕掛けがあり、その結果あのような値段なんだ”と納得できますが、音来に毛が生えただけで何の仕掛けも無い楽器と判り、残念に思いました。 私が一五一会レプリカを作った最大の理由は、一五一会が欲しかったからでも、買うお金が無かったからでもありません。この楽器が”K.ヤイリが作るに相応しい楽器か”この手で確認したかったからであります。残念ながら私の結論は、ノー!でした。フェラーリが軽自動車、いや子供向け三輪車を作っているようなもんです。K.ヤイリは永久保証を誇りとするメーカーですが、子供向け三輪車に永久保証なんて要りません。ただその後、奏生(カナイ)という、これまでと設計コンセプトの異なる廉価な機種が出て、これこそ一五一会のあるべき姿に近いかなと思いちょっと気が晴れましたが。 とりとめのない話ばかり続きましたが、私が言いたいことは以下です。 1)楽器を弾きたいなら、お金やモノだけで解決しようなど思わず努力(練習)しましょう。 2)値段が高い楽器がいい楽器とは限りません。 3)日本の職人文化を守ることは大事です。でもそれと世界中の家族と友達をハッピーにすることは切り離すべき話です。 |