プロローグ FW16B 1994年鈴鹿仕様について TOP

 
ウィリアムズ ルノー FW16Bについて
FW16Bは、当時F1界で最強だったチーム、ウィリアムズが1994年に投入したマシンFW16のシーズン後半戦仕様です。今回製作したのはエースドライバー、アイルトン・セナの急死によりセカンドドライバーからエースに祭り上げられたデーモン・ヒルが終盤日本グランプリで使用し優勝したマシンです。

FW16B鈴鹿仕様への思い入れ
私個人、セナの大ファンでしたし、FW16はデザインも大変美しく、当然出るであろうタミヤのプラモを楽しみにしていました。その後の出来事はいろんなところで語られているので省略しますが、発売されたのは16年後でした。出来はともかく、製品化してくれたフジミには感謝したいと思います。
 本来であればセナ最後のマシンであるサンマリノ仕様としたいところですが、既に15年前にレジンキットで作っており、他のモデラーとの競合も避けたいので、感慨深かったデーモン・ヒルの鈴鹿仕様で製作します。

 さてセナが亡くなった時点では、今回の主役である「カーナンバーゼロの男」がどんな顔かすら知りませんでした。グラハム(グレアム)・ヒルという名前はスーパーカーブーム時代に聞いたことはあり、その遺児だということは知っていましたが、”デーモン”と言えば日本では”閣下”の印象が強く、彼の顔を覚えたのも、スペルもDemonではなくDamonだと知ったのも暫く経ってからなので、少々胡散臭い印象を持っていました。
 セナの急死により、ヒルはフル参戦2年目にもかかわらず、チャンピオンチームのエースとして祭り上げられ、勝てば「マシンの性能のお陰、FIAの無理矢理な裁定のお陰」と言われ、負ければ「チャンピオンの器に非ず」と言われ、激しいプレッシャーとバッシングを受けながらその後のシーズンを戦うことになります。
 そして1994年11月6日、日本グランプリ。主役であるはずのセナがいない鈴鹿は追悼ムード一色。シューマッハはチャンピオンに大手を掛け、余裕のポールポジション。ウィリアムズとヒルには後がありません。
 鈴鹿にしては珍しい豪雨の中、アクシデントが多発、これにより、2ヒート制という、合計タイムで順位を決定するという状態になりました。
 1ストップ作戦という賭けに出て、トップに出たヒルは、「2位シューマッハに2秒以上の差を付けてゴールしなければならない」という厳しい状況になりましたが、グリップを失った不安定なマシンをねじ伏せ、鬼神の走りで逃げ切りに成功しました。このレースで男を上げたヒルはトップドライバーと認められるようになり、2年後のこの鈴鹿でタイトルを取ります。

 一方で私は、雨のレースで圧倒的な速さを誇ったセナが、生涯3度の総合優勝をすべてこの地で決め「第二の故郷」と公言していた鈴鹿で、日本のファンの為にこのちょっと頼りないマシンとドライバーを空の上から後押ししてくれたような気がしてなりません。そしてこの勝利で、私はセナの死を半年も経ってようやく現実として受け入れることができたような気がしました。

・・・前置きが長くなりましたが、このような背景と、またフジミさんのキットの出来に問題が多く(苦笑)、そのことがかえって創作意欲アップに繋がったので、今回鈴鹿仕様で製作することにしました。
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